オリンピックと伊藤由奈

北京オリンピックを観ていて、ふと、映画「NANA」の“トラネス”の「レイラ」役で伊藤由奈が歌っていた「JOURNEY」が聞きたくなってCDを聞きました。青春の旅立ちの詩が身体をふるわせるような曲です。そしてもう一曲は「ENDLESS STORY」これは愛の唄です。どちらも前向きに走っている若々しい歌です。

こんな若さが羨ましく思えるのは、歳なのでしょうか。いえ、きっと走れないからそう思うのでしょう。マラソンを走った人なら分かると思いますが、走っている最中は身体は絶えず歌を聞いていますよね。そのリズムに乗って走っています。たとえ、苦しくて歩き出しても前進を続けるのは、前に向かって走れ、という歌を聴いているからに違いありません。

伊藤由奈の歌を聴いていてそう思いました。こんな青っぽいことが書けるのも、まだまだ若い証拠です。

2ヶ月近く走っていないので体重が増えました。秋に向けて減量が必要なようです。

追伸:音楽CDをパソコンに取り込んで聴くと、パソコンの画面に綺麗な映像(なんと表現していいかわかりません)が観られます。そして、それは聴くたびに違う映像でとっても綺麗です。ただ暗い部屋で観ると強烈な動きのテレビ漫画と同じように、卒倒する人も出るかもしれませんのでご注意! でもお試しあれ。

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北京女子マラソン

北京オリンピック女子マラソンは悔しかった!

最後まで走った中村はそれでも次がある。でも野口みずきと土佐礼子に次のレースがあるのか。こんな悲観的な思いが浮かんでくるのは自分が走れなくなっているからだろうか。

野口の五輪欠場という悲報が飛び込んで来たのは8月。土佐はレース始まったばかりの時。勝負することなく終わったマラソンにどんな気持ちでいるだろうか。全てを賭けたレースだった筈なのに、全力で走ることもなく終わった。さぞ無念だろう、という第三者的な言葉しか言えないが、前向きにこれからも走り続けて欲しい。そう、数々あるレースで私達と一緒に走って欲しい。私達はそれが見たいのだから。

私も直前の腰の故障で欠場したハーフマラソンがあったが、そこは市民ランナー、来年また走れる、という気持ちがあった。でも実は私ではなく、仲間のランナーに失望した者がいた。私と競い合うように走っていた四季の会のNさんだ。このレースが最後だと思っていたのかもしれない。結局彼は競技場直前で失速し歩いてしまった。そして、その後彼は前立腺がんを手術した。Nさんは手術後も一緒に練習していたがかつてのスピードはなくなった。あの時私が欠場しなければレースを競い合った思い出が残ったはずなのに、人生の一こまが出来た筈なのに、私の欠場で仲間に無念の思いをさせてしまった。

こんな思いはマラソンというスポーツに限らないだろうが、考えて計算の上作り上げた計画が必要なのはマラソンという競技の面白いところでもあるし辛いところでもある。だからこそマラソンは人生に似ている。ベストと思った計画が成功するのも失敗するのも、実行さえできなくなるのも、すべて運命なのだから。

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海は広いな、三浦海岸しろべ荘

しばらくブログをご無沙汰してしまいました。

椎間板ヘルニアは一進一退の状況で、良くなったかなと思えばまた次の日は足の痛みがでてきます。盆明けには病院へ行って来ようと思っています。治りつつあるのか全然治っていないのか、治すためにはどうしたらいいのか、はっきりしたいですよね。

ところで毎日暑い日が続きますね。こんな日は海にポチャンとつかって、ドンブラコドンブラコと揺れていたくなりますね。

海といえば、以前書いたかもしれませんが、四季の会は夏合宿を9月の第一土日に行っています。場所は神奈川県の三浦海岸。しろべ荘という民宿に毎年泊まっています。もう20年以上になるのではないでしょうか。綺麗な若女将がいることは以前書きましたよね。夏休み中は海水浴客で民宿も一杯になるので、私達、海とはあまり縁のないランナーは時期をずらしていました。最近は温暖化で9月でも充分泳げますが、夏休みが終わると海の家は閉まってしまいますね。

合宿では、土曜日の夕方灯台までの往復13キロの練習と、日曜日の朝前日と同じコースか城ヶ島往復の25キロを各自選択して走ります。

日曜日は前日の夜飲み過ぎると辛い練習になります。9月とはいえまだ暑く、帰ってくると民宿で朝食だというのにビールがすすんでしまいます。食事の後は皆テレビを見ながらごろごろして、それから帰ります。まだ若かったころは海に行って泳いでいたものですが、ほとんどが50歳以上となると中年おじさん病が出てしまいます。でも中には日曜日レースがあるといって、朝食もそこそこに会場に向かう者もいます。さすがランナーですね。

関東にお住まいの方で、四季の会の合宿に参加希望の方は、9月第一土日に三浦海岸しろべ荘に行ってみては?

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海は広いな、三浦海岸しろべ荘

しばらくブログをご無沙汰してしまいました。

椎間板ヘルニアは一進一退の状況で、良くなったかなと思えばまた次の日は足の痛みがでてきます。盆明けには病院へ行って来ようと思っています。治りつつあるのか全然治っていないのか、治すためにはどうしたらいいのか、はっきりしたいですよね。

ところで毎日暑い日が続きますね。こんな日は海にポチャンとつかって、ドンブラコドンブラコと揺れていたくなりますね。

海といえば、以前書いたかもしれませんが、四季の会は夏合宿を9月の第一土日に行っています。場所は神奈川県の三浦海岸。しろべ荘という民宿に毎年泊まっています。もう20年以上になるのではないでしょうか。綺麗な若女将がいることは以前書きましたよね。夏休み中は海水浴客で民宿も一杯になるので、私達、海とはあまり縁のないランナーは時期をずらしていました。最近は温暖化で9月でも充分泳げますが、夏休みが終わると海の家は閉まってしまいますね。

合宿では、土曜日の夕方灯台までの往復13キロの練習と、日曜日の朝前日と同じコースか城ヶ島往復の25キロを各自選択して走ります。

日曜日は前日の夜飲み過ぎると辛い練習になります。9月とはいえまだ暑く、帰ってくると民宿で朝食だというのにビールがすすんでしまいます。食事の後は皆テレビを見ながらごろごろして、それから帰ります。まだ若かったころは海に行って泳いでいたものですが、ほとんどが50歳以上となると中年おじさん病が出てしまいます。でも中には日曜日レースがあるといって、朝食もそこそこに会場に向かう者もいます。さすがランナーですね。

関東にお住まいの方で、四季の会の合宿に参加希望の方は、9月第一土日に三浦海岸しろべ荘に行ってみては?

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合同句集が届きました。走ってるね君

今日友人から合同句集「くにたち」(NHK学園受講者作品集)が送られてきました。友人は43歳(今52歳)から俳句を続けてきました。その続けた俳句を読んで、このブログも出来るだけ続けようという気持ちになりました。

椎間板ヘルニアで走れなくなっている自分ですが、自分を記録し続けることで、何かしら発見できたらと思います。

ときどき自分の腕や足をじっとみて、何のために生きているんだろう、と考えることもあります。走るときは何も思わず動かしている手足を、少しずつ動かしてみるとこの身体は何を欲しているんだ、この手足を動かしている自分は何をしたいんだ、と本能だけで生きているのではない、自分の生きる目的を考えます。

犬や猫のように生きられれば人間も幸せだろうと考えることもありますが、犬や猫でも自分の意志を持っていて、一匹では嫌だとか、どの人間と一緒がいいとか、意思表示します。かえって犬や猫の方が素直に生きる目的を持っていて、人間の方が煩悩に振り回されて生きる目的を見失ってしまっているのでは、と考えたりもします。変ですが、犬や猫が車とぶつかって死んでいるのを見かけると、かえって彼らの生を感じたりします。

私の場合は走ることで生きる目的を、本能的に楽しんでいたんでは、と考えたりもします。走っていると難しいことは考えたりはしませんが、楽しんでいる身体がいとおしい気がします。最近、ランニング姿で汗を流しながら走っている市民ランナーを見ると無性に羨ましく、自分が情けなくなります。単に健康であることが羨ましい、というだけでなく、生きるものとして身体が生きている証拠が得られることが、かけがえのないものに感じます。

私は、2歳頃小児麻痺にかかり、県病院に入院しましたが、父母の処置が早かったのか奇跡的に完治し、身体に後遺症はありません。だから今まで一般人として走ってこれたのですが(こういう言い方もおかしいのですが)、恵まれた人生だったと思います。でも不自由になったから走れないのではなく、不自由でもこの身体が生き生きとしていられれば、何らかの方法で走ることに参加したいと思います。

でも、まだ諦めていませんよ。今は不思議と足の裏が痛いのですが、少しずつ足の痛みも変化しているので、ゆっくりつきあって、いつか走ってやります。ガンバ!

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山中湖ロードレースはストレッチングが大切

もう一つ過去に走ったレースを紹介します。山中湖ロードレースです。

山中湖を一周する約13㎞の部と1周とちょっと走って折り返してゴールするハーフの部がありますが、私は13㎞の部ばかり走っています。20代の若いときに泊まり込みで走ったこともありますが、最近は横浜や新宿からこのレース用のバスが出るので、それに乗って参加していました。

開催日が5月の最後の日曜日とあって暑くなることが多いレースです。

私と言えば千恵子先生(佐藤千恵子さん)のストレッチング体操を目当てに行っていたのですが、バスが着くのが遅いため、体操はほとんど終わっており、何だか目的がはぐらかされたようで、気が抜けてタイムは良くなかったです。途中にある坂道をそんなに苦にしていたわけでもないのですが、いつもバテバテでした。でも千恵子先生も一緒に走るので、それを抜くぐらいの元気はありました。そういえば結構参加者が多くて、最初の数キロは思うようには走れません。それを取り返そうとスピードを出すと丁度その頃に坂道があって、それでバテたのかも知れません。

でもこのレースの帰り道、一緒のバスに乗った寺崎君という若者をナンパして四季の会に入れて、その彼が今四季の会の若きエースです。その頃ハーフを1時間50分以上かかっていたのが、今年の東京マラソンは3時間7分台でした。当然私は抜かれてしまったクチです。その寺崎君は今もこのレースに参加しているので女の子をナンパするように言っているのですが、そっちの方はどうも成長しないようです。

チャンスがあればまた参加したいと思っています。早く治れよ、私の左足、腰?

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片思いと大阪のロードレース

私が走ったフルマラソンは前回で終了です。でもそれ以外に30キロ、ハーフの大会にも参加しています。その中で大阪にわずか10ヶ月住んでいたときに走ったレースをご紹介します。

まず「三田マラソン」です。正式名称はもっと長かった筈ですが忘れました。兵庫県三田市の大会です。確かハーフか20キロだったと思います。この大会には増田明美さんがゲストランナーで参加していらっしゃいました。ゴールした後着替えに体育館に入るところですれ違い、「お疲れさまでした」と声を掛けられて、嬉しくなったことを記憶しています。参加賞は三田米でした。重かったけど持って帰って、寮母さんにあげたように記憶しています。平成5年のことなので、今もこの大会があるのかどうか分かりません。市街地と丘の上の住宅地を走った記憶があります。

次が「枚方リバーサイドマラソン」です。淀川河川敷を走る大会で、これもハーフだったと思いますが、暑かった記憶があります。延々と続く河川敷に嫌になって、すごく疲れて帰ったと思います。今もその時のTシャツがありますが、練習で着たのでよれよれになっています。この経験から河川敷のマラソン大会が嫌いになったのではと思います。

三つ目が「金沢百万石ロードレース」です。前日大阪駅から電車で金沢へ向かいましたが、大阪駅で取引先の方にばったり会って、これから新潟へと聞いて、新潟ですか?と問い直した記憶があります。随分遠い気がしたのです。

金沢へ着いたら市内を歩いてみました。金沢はお菓子で有名なのはご存じですか?記憶は定かではないのですが、お菓子の万博みたいなものが開かれる予定になっていました。その後も度々金沢のお菓子は見るので、金沢のお菓子の知名度を改めて知りました。それと金沢は陶器が有名ですよね。私は久谷焼きの5皿セット、3,500円を買いました。この皿は今でも実家の母親が大切に使っています。前日の夜は金沢名物のカニが入った定食を食べて早々にホテルで寝ました。

このコースは青梅マラソンと同じく30キロの部があり、城跡にある公園から結構田舎に向かって走った記憶があります。折り返してスタート地点でゴールだったと思いますが、記録が良かったようには記憶していません。ただ、このレースには当時有名だった山本佳子選手がゲストとして参加しており、彼女は10キロを走り、細いその姿に感動しました。彼女は今どうしているんでしょうか?

レース後は痛い足を引きずりながら、兼六園の中を見物して帰りました。もうすぐ冬ということで松の枝に綱を張って雪で折れないようにする作業がされていました。

その後、平成17年には金沢工業大学へ求人のお願いに行き、金沢の町に寄ったのですが、町中を歩くこともなく帰ったのは、今でも残念に思います。この百万石ロードレースはもうやっていないと思いますが、もう一度走りたいレースです。

大阪に住んでいる頃走ったのはこの3つだけです。第1回泉州マラソンに参加する予定でしたが、転勤で参加することが出来なかったのも残念でした。当時住んでいたのは大阪といっても堺市浜寺諏訪森で、練習は海岸沿いを走ったり、仁徳天皇陵まで走ってぐるりと周回して帰っていました。長居陸上競技場まで走ったこともあります。

近くのスーパーで働く色の白い女性に片思いしていたのに、声も掛けられなかった短い大阪時代でした。

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加古川マラソンはラスト5キロが勝負!

さて、私が走ったフルマラソン、最後は加古川マラソンです。

河川敷のマラソン大会は風が強いので本来出たくないのですが、中国地区にいいマラソン大会がなかったのと、ちょうど東京マラソンの約2ヶ月前に当たるので2007年の大会に出場しました。

脇道にそれますが、広島は実業団駅伝では中国電力、高校駅伝では世羅高校が全国大会で優勝したり、マラソンでは北京マラソンに中国電力から2名も出たりするところなのに、不思議とフルマラソンでシャキッとした大会がありません。広島ベイマラソンがありますが、5キロの往復を8回は私には面白いとは思えません。カキ雑炊が無料サービスされるので、分からないでもないですが、なんとかしっかりしたフルマラソンを開催して欲しいものです。

私個人的には、三次市の出身なので、三次市役所前をスタートして国道184号線を吉舎町まで走って折り返すフルマラソンを作りたいなと考えています。途中塩町で芸備線の踏切があって渡れなくなるランナーが出ますか、シオマチなので、待ってもらって「シオがない、マチましょう」という賞を設けて、逆にそれが有名になるくらいにしたら、と考えたりもしています。そうしたら、中国5県から中国縦貫道を使って参加できる大きな大会になるのではと思います。

話は元に戻って、加古川マラソンですが、スタートして加古川大橋を渡るまでは川を上流に向かって走るので微妙に上り、橋を渡ってからは下流に向かって微妙な下りを走ります。この微妙な勾配がときどきアップダウンを加えられて足に応えます。従ってペース配分が簡単なのか難しいのか分かりませんが、昨年は復路で加古川大橋を渡ってラスト5キロになってからが坂道に感じてすごく辛かった記憶があります。記録は3時間23分23秒でしたが、ラスト5キロは25分以上かかっていました。正直なところフラットで走りやすいと読んでいたので、ショックな記録でした。最終的にはここでの成績が悪かったので、その後一生懸命走り込み、東京マラソンの3時間14分50秒に結びついたのだと思います。

この大会には土佐礼子選手がゲストとして参加しており、オーッ!オリンピック選手じゃ!と写真を撮るのも忘れませんでした。でも司会の方の紹介が長くて、黙って立っている土佐礼子選手がかわいそうだ、と感じたのは私だけではなかったのではないでしょうか。みんな知っている人だから、早く話させてあげた方がいいですよね。

ところで、この大会、トイレがちょっと不自由だったので、女性は早めに準備しましょう。男は河川敷なので小ならば何とでもなります。大は隠れ場所がありませんぞ!

ガンバ!

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掛川マラソンは手強いぞ!

今回のフルマラソンは小笹・掛川マラソンです。今は掛川・新茶マラソンでしょうか?

掛川城が見たいのもあって参加しました。しかし練習不足が祟って(そのころ千葉県松戸市に住んでいて常磐平との往復練習をしていましたが・・・)4時間10分以上かかったのは以前お知らせしました。従ってレースが終わっても掛川城を見に行く元気がありませんでした。

ここは競技場が丘の上にあり、スタート時は下って行くのですが、ゴールは坂道を上り、さあゴールだと思ったら競技場の周りを1周でした。これには参った。平成8年のことですが、暑さとアップダウンにやられたレースでした。

これから掛川・新茶マラソンは皆さん参加されると思いますが、4月の開催で結構暑いのではないかと思いますので水分補給や暑さ対策が必要です、特に初心者は。でもまずはレースを楽しんで下さい。

今日は久しぶりに映画を観てきました。「崖の上のポニョ」という宮崎駿監督の作品です。ポーニョ、ポニョ、ポニョ、魚の子、青い海からやってきた・・・というラストソングがとてもかわいい映画でした。でも海がいつまでも綺麗であるように川にゴミを流さないようにしましょうね。お魚さんも困ってます!?広島も水の街、海の街です。青い空と青い水が似合う綺麗な街でありたいですね。

ガンバ!

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NAHAマラソンはでっかいぞ!

さあ 、今日はNAHAマラソンです。

皆さん走ったことありますか? さすがというくらいの大きなマラソン大会です。東京マラソンとは少し違った大きさを感じますね。普通のマラソン大会のようにスタート前はそれぞれ競技場の周りでウォーミングアップしたりして、それが、道路に整列すると、ワッ!こりゃすごいや!って感じです。

2005年私は初めての沖縄だったので会社は休みをとって3泊4日で行きました。宿泊はちょっと新聞を賑わせた東横イン。でも大会場所に近く便利でした。大会日には朝食におにぎりとみそ汁が用意してあって、参加者と一緒になって黙々と食べていましたが、やはりそこはランナー同士、ついレースの話になり、NAHAマラソンの坂は大したことない、という情報をゲットしました。私も坂の頂点近くの平和公園(だったですよね)まではキロ5分を維持する予定だったので、もしかしたら楽かもという期待を持ちました。

沖縄には築地時代に知り合った福島夫妻が読谷村に住んでいて、那覇まで応援に来ていただきました。最初が8キロくらいだったか、見つけてもらって声を掛けられました。遠いところに来て数十年ぶりの知り合いに会って、そこからは絶好調です。

平和公園を過ぎて下り25キロ以降はトップランナーのような気分を味わいました。たぶんキロ5分を少し切るくらいのランナーが5,6人一団となって走ったのです。もちろん私も前後したりしながら、前から落ちてくるランナーを抜き去りながら35キロまで、アッという間に走り抜けました。途中雨が降ったり強い風が吹いたりしましたが、抜いていくということが、こんなに気持ちがいいものだとは、というくらい、一団で走りました。

しかしさすが38キロ地点からの上り坂で一団が崩れました。最後は私と私より背の小さい方でしたが、二人の競り合いになりました。しかし残念ながら39キロ地点位から離され始め登り切った40キロ地点ではすっかり見えなくなってしまいました。しかし、今度は下り坂です。実はラスト2.195キロを10分を切って走ってしまったのです。こんなことは初めてでした。そして39キロで離されてしまったランナーを競技場の前で抜き去り3時間26分22秒でゴールしたのです。

ゴール後はさすがにふらふらになって、貧血状態でしたが、福島夫妻が昼ご飯を用意して競技場で待ってくれていたので、帰ってくるランナーたちを見ながらお昼をいただきました。こんなゆっくりしたマラソン大会は初めてでした。そして2年越しで3時間30分を切ることができたのです。

レースのあとは2日休みを取っていたので、翌日は福島さん(旦那さんの方)に沖縄を案内してもらいました。首里城を通って平和公園にも行き、昨日のレースの後をもう一度歩きました。その夜は当然泡盛を飲み、海ぶどうやゴーヤを食べて寝ました。

とても3年前だとは思えないような懐かしいマラソン大会です。次は沖縄マラソンだね、と福島夫妻と話して3年経ってしまいました。早く足腰を治して行かなければ!今日は何故か左足が一段と痛いのです。ちょっと歩きすぎたようです。ガンバ!

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